1. 大倉御所跡-朝夷奈-景時邸跡-舞殿
10時半頃に到着。桜もほぼ満開とあって、大賑わいの段葛に特攻。源氏池を過ぎ、本殿には下から挨拶して、そのまま通り抜けました。目指すは大倉御所跡。でも、その前に頼朝の墓所にお参り。石段の手摺り下の飾りが、笹竜胆でした(旅行記top写真)。
墓所の手前、清泉小学校の塀沿いに石碑があります。
朝夷奈
そしてそのまま金沢街道へ出て、東へ。鎌倉は道路の幅が狭く、バス通りは標識なども有り、散策には分かり易いのですが危ない。歩道は擦れ違えないほどですので、注意して歩きます。次の目的地は朝夷奈。バス通りからやや外れた方向に、朝夷奈峠の入り口が有り、ここにも石碑が建っています。ここら辺りで呪詛解除(笑)と思ってパチリ。時間の関係もあり、朝夷奈切通しの踏破はしませんでした。その為、朝夷奈にあるという「景時太刀洗水」までは行きませんでした。もとい、見落としてました(爆)。
でもゲームではここから九郎と鎌倉を脱出したり、荼吉尼天とも闘ったりだったのよねーと感慨に耽ったり(笑)。
朝夷奈は、写真の通り今でも鬱蒼とした所。恐らく雨の翌日などは、足下が滑るでしょうし、あまり暗くなってからの散策には向かないと思います。
切通し入り口の石碑 石碑と滝 切通し
景時邸跡
朝夷奈から元来た道を戻り、景時邸跡へ。ここの目印となる明王院さんを見付けられず、行き過ぎてしまいました。最寄りのバス停は「泉水橋」。「もとみ」でなく「せんすい」です(笑)。近くのお店に手書きの明王院さんへの案内がありました。それを頼りに、まずは何とか明王院さんに行き着きました。でも景時邸跡は、こちらへの手前を左へ…とガイドブックにはあります。でも、それらしき道の角には、スポーツクラブ関連の小さな標識しかありません。ホントにこっちでいいのかな?と思いつつ、5分ほど奥へ歩くと…そこには標識も何も無く、小さな祠と野井戸の跡があるだけでした。前もって検索した写真を見ていなければ、見落としていたと思います。周囲は民家。此処か…。史実の景時は、義経を弾劾したり、頼朝の死後は密告屋として御家人に討たれています。良い印象ではないせいか、史跡も冷遇だなぁ…。最も、こことは別にもう一箇所立派に屋敷跡があります。ですが、そこは鎌倉から離れておりゲームにも登場しませんので「遙か3ツアー」からは外れています。
何だか寂しい…と思いつつも、史実がああだからと気を取り直し、妄想を逞しく(笑)。この辺りで皆が過ごしていたのねと。そして、出発。ここから元来た道を再度戻ります。今度は隠れ里稲荷を目指しますが、その前にさっき素通りしてしまった鶴岡八幡宮へ行かなければ。道中は桜が咲き、何度通っても飽きません。
再び八幡宮へ。さて、舞殿を見なきゃと歩いていくと、なんと結婚式やってました!!ここで挙式出来るのか!知りませんでした。しかも新郎は日本人ですが、新婦は金髪碧眼!!異世界(笑)の女性と日本男児との舞殿挙式に、望美と九郎を妄想するバカ神子がここに(苦笑)。自分は弁慶×望美で景時×望美ですが「舞殿」での挙式と言ったら思い出すのは九郎でしょう〜(笑)。右の写真でお分かりのように、大路側にアプローチ(って言い方しか出てこない…)がありました。去年初版のガイドブックには、これが無い。式の有るときだけくっつける…ってものではないですよね。式場としての利便性から増築したのでしょうか?ちょっと風情に欠けるような…。
本殿は、回廊工事中のため、白いシートに覆われていてちと残念でした。なので、写真無し(爆)。この後は、鎌倉駅を挟んで西へ。その前にささっと昼食を摂りました。