1. 英勝寺-浄光明寺


大分秋めいて参りました頃。今年は陽気のせいもあって、花の見頃はどうなんだろう…と鎌倉の情報系サイト様を拝見する日々でした。
決行は10月4日だったのですが、手持ちの鎌倉のカレンダーに記載されている花暦ですと、曼珠沙華は9月半ばから下旬。そして己の過去の記録を見ても、やはりその頃に出掛けていました。例年より遅め―と思いつつ、訪問地にも因るかもしれない。自然の事はどうにもなりませんし、鎌倉はいつ訪れても楽しいので、問題無い!

この日は8時57分新橋発の東海道線、戸塚乗り換えで鎌倉に入りました。


英勝寺
目指すのはこちら。曼珠沙華が多い事で知られています。5年前のスタートも此処からでした。
…そして門前で一瞬立ち止まりました(右写真)。そうです、こちらは拝観休止(定休)日のあるお寺さんなのです。
本来、訪問した木曜日はお休み。うっかりしていました…。幸いにも、見頃なので午前中は拝観可。
まだ10時過ぎという事で間に合いましたが。行き当たりばったり感の強い鎌倉訪問ですが、最低限のことはアタマに入れておけよと痛感致しました。
300円を納めて境内へ。順路が記してありました。
進んでみますと…凄い。

 

 

以前にもこの時期に拝観しているのですが、盛りを迎える前でしたので、また違います。私の煩悩スクリーンには、ここにリズ先生と望美ちゃんが見えます(笑)。ところどころに露草も見えます。暫し、見入りました。
本殿にお参りし進むと、そこには柿が…。
※写真は「からすうり」になります。失礼致しました。ご指摘有難うございました。
 柿の木は、本堂の手前向かって右手にあります。('12 11/20追記)
柿といえば九郎さんなので、もう剣の師匠と兄弟子と妹弟子がで、色々胸中が賑やかに(笑)。

  

茶室の方へ回ると、芙蓉も咲いていました。奥の竹林は相変わらず静かで、21世紀を忘れる瞬間です。白い曼珠沙華も見られました。

  


浄光明寺
英勝寺さんを辞して、横須賀線の踏切を渡って久し振りにこちらへ。
萩は終っていましたが、白萩が少しだけ残っていました。本堂へお参り。そして…あれ?石段上の仏殿にお参りしようと思いましたが、手前に何か書いてあります。おお、木曜日は収蔵庫の拝観日でした。これは有難いと受付で200円を収め、お寺の方から仏殿上にある冷泉為相(ためすけ)の墓所や、綿引地蔵についての説明を伺いました。前日の雨で道が悪いから注意をと促され、用心して裏手から墓所へ。為相は藤原定家の孫で、阿仏尼の息子になります。墓所の説明板を読みながら、伊勢丹で「冷泉家」展を見たのは何年前だっけ…と思いを巡らせました。帰宅して調べると12年前。墓所にお参りして、眼下を見下ろすと…凄い景色でした。

  

今日から鎌倉に下り、ここに眠る冷泉家初代・為相。鎌倉の変貌をどう見ていらっしゃる事か…。
右の写真は墓石。頂上は狭く正面から撮れなかったので、下から失礼致しました。

深呼吸して石段を下り、綿引地蔵様にお参り。地蔵様の御座した洞穴は暗かったので碑と曼珠沙華(下写真左)。

その後仏殿前に戻り、非公開の観音堂は扉越しにお参りし、代々の鶴岡八幡宮の宮司のお墓にも。宮司の墓石だけあって、なんと鳥居が彫ってありました。とても貴重なものだそうです。
そして収蔵庫では再び説明をして頂けました。収蔵庫のみ撮影禁止のため、写真はありません。
阿弥陀様の衣に「土紋」という手法が用いられた最古の像だそうです。これは中世の鎌倉でのみの技法とのこと。
公開日が木・土・日曜・祝日のみで8月は休止、雨天多湿日も休止というのは、像の保護の為だそうです。木造の保管というのは大変だなぁ…。

  

台風の雨が上がった木曜日に来られた私は、運が良かったのでしょう。改めてお礼を申し上げ石段を下り、不動堂(上写真右)へお参りして境内を辞しました。



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