1.藤沢―川名・宮前
前日まで今回の発端は、調べ癖が高じて鎌倉市及びその周辺の「御霊神社」を検索したことです。
県の神社庁HPまで辿り着き、どうやら村岡(現・藤沢市宮前)の御霊神社が、ゲーム中に出て来た御霊神社の元社(という表記は正確ではないかも)のようなのです。うーむ、行ってみたい!と気持ちが動きました。
そうなると、藤沢から回るなら景時さんのクリスマスイベントの舞台となったホテルって、どこなんだろうという気になり(笑)、そちらも検索を掛けまくり、ここでは?という所に当りました。
いつもは思い立ったら直ぐに出掛けますが、今回は準備もとい下調べに日数を喰いました。
そして2006年10月20日、いざ!鎌倉!!(笑)
当日
8時45分東京駅発の東海道線で、藤沢へ(上・駅舎写真)。
今回も「鎌倉・江ノ島フリーきっぷ」にお世話になります。
他線の人身事故の影響で、2分ほど遅れて藤沢駅着。9時35分くらいでした。
改札を出て、北口へ回ります。
…ああ、ダメだ。やっぱりニヤけます(笑)。
ここを背に皆さん立っていたのね、と「さいか屋」さんをパチリ。
地図では「建設中」になっていたビッ○カメラさんも、完成していました。
クリスマスの暮れ方は…
ビッ○カメラさんの脇を入り、柳通りを経て、地図で確認した「グランドホテル湘南」さんへ。恐らく、ここがモデルではと推測します。
1.パーティーの前、藤沢駅北口が夜景の絵に変っていたので、北口側のホテルだろう
2.ディナーだけでなくダンスもしていたとなると、常からダンスイベントもやっている?
…という二点からだけなんですけれど(苦笑)。
ホテルを検索する時、実は藤沢のどっちの出口が舞台だったのか、分かってませんでした(汗)。南北とも、ホテルを探す事から始めてしまったのです。で、南口の方がホテルは多かったのです。ただ、南北共にバンケットホールを持っている…となると、数が限られます。その後で漸く「北口」だと気付き(馬鹿)で、こちらのホテルのHPを覗いたら、北口に在り、更に生バンドの入るダンスイベントを開催されていました。
駅から五分だし…となると!行ってしまえ!!
上の写真はホテル1階のレストラン「KOYURUGI」の洋朝食。パンはお替り出来ます。税・サ込み1,500円。他に和定食もあります。朝食メニューはこのセットのみのようです。L.Oは10時。
つるっと平らげ、ホテル内を見学。
4〜6階は客室ですので、2・3階のバンケットホールのみです。写真は3階のホールとバンケットルームの入り口。勿論、閉鎖されている所は入りませんぞ。
2階にはチャペルもあります。
ホテルHPのTOPにもなっている、ガラスの吹き抜け。これを内側から見ると、3〜地下1階までの螺線階段になっていました。
…ここで望美ちゃんをエスコートする景時さんの図が浮かんで、破顔してしまいました。
無人で本当に良かった…(苦笑)。
エレベーターは二基。片方は3階止まり、片方は客室階まで。
もしかして、エレベーターの中で魔法を使ったのかしら。周囲の目が有ると、あの銃は使えないと思うので…。
ホテル全景は、正面に在る歩道橋から撮りました。
この歩道橋の真横が藤沢郵便局になります。いい目印(笑)。
右写真・窓の向こうの建物がそうです。
御霊神社へ
1. 川名
藤沢駅へ戻り、今度は反対の南口へ。こちらの方が北口よりもバスの発着が多く、小田急と江ノ電の二線が乗り入れている事もあってか、北口よりざわざわした感じです。
次の目的地は、今回の旅の発端となった宮前の、そしてその近くの川名の御霊神社です。
駅の直ぐ正面、バス停1番乗り場から「鎌倉駅」行きへ乗車。3停留所・170円で「御霊神社前」へ。
バス停から向かいへ渡り、右折して歩いていくと、川名の御霊神社です。
…登りだ…(汗)。
周りは民家ですが、とても静かです。一生懸命登ります。
本殿の前からは、周りが一望できます。裏手に回れそうな小道らしきものありましたが、私有地かもしれないこと、結構虫が多いこともあって行きませんでした。
本殿の右手には正味一位稲荷、疱瘡神が祭られていました。
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本殿には梶原家の紋などはありませんでした。
この川名御霊神社は、祭礼(9/18)の時は大きな山車とお神輿が出るとHPで拝見しましたが、お祭りでない時分にはこんなに静かとは…。無人です。
2. 宮前
川名を後にし、東へ。…己が間違っていた事に気付くのが、もう少し早かったら良かったのですけど(汗)。川名から、すぐ北上すべき道を東へ行ってしまい、結果大回りして宮前へ。これが無ければ15分は短縮出来た筈なのに(汗)。宮前の地へ入っても肝心のお社へは、またうろうろ。漸く着くと…また登りでした(爆)。
ひょえええと、心中で情けない声を上げつつも「女坂」ではなく、石段を踏破。
着いてみたそこは…なんか…ぞーっ…(冷汗)。
無人。但し、石段右手には集会所があり、地域の鎮守としての重さも伺えます。![]()
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良い意味で昔の空気のままでした。背後も鬱蒼として、静か。副社として七面宮、笹折矢竹稲荷大明神のお社が本殿右(上写真右)。
左には疱瘡神(下写真左)、その奥まったところに十二天王(下写真右)が祀られています。![]()
更に、本殿を取り巻くような小山は「兜山」と言われ、後三年の役の戦勝のお礼として、景政公が兜を埋めたと言われています。また、神社庁のサイトによると、近辺の旧跡には「晴明塚」の表記も。…実は、この晴明塚が此処へ来る原点のようなものでした。安部家で修業した景時さん、その祖先が祀られているところに、晴明塚ってどうよ!な妄想に火が点きまして。
しかし、兜松までも行けませんでした。実は、ホテルに入るし、レストランも行くし…スニーカーってどうよ?な気持ちがして、この日は山道を入っていける靴ではなかったのです。それと、どうにも気が進まなくて。あの最初のぞーっとした感覚が抜けませんでした。…この腑抜けめ。
結局、普通に参拝してちょい妄想もして、次なる地へ。
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