3. 御霊神社
長谷駅から正面鳥居を目指さず、東鳥居から行った馬鹿者でしたが…うわーっ!凄い人です。平時の境内からは想像もつきませなんだ。と、取り敢えず人をよけて本堂にお参り。その本堂にすら、人、人、人。
この時は、午後1時過ぎで神楽が行われていました。舞台は本堂に向かって右側にしつらえてあります。いつもいらっしゃる女性の禰宜さんも狩衣に烏帽子姿。
途中からではありますが、拝見したのは二人舞、笹舞、湯立て、そして山神と天狗の舞。その際、お湯は私の左二人目まで掛かり、山の神が投げる飴は右二人目まで飛んできました。…私って、きれいにスルーされてる?(苦笑)1時50分くらいでしたか、神楽は終了。![]()
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いよいよ面掛行列です。
最もこれから行列の準備もあって、開始は2時半。境内から人が一斉に動き始めます。行列の通る「星の井通り」へ。御霊神社は「坂の下」の鎮守さま。ですので、星の井通りでもその地名の範囲を練り歩きます。西は成就院と星月夜の井の間まで、東は金物店のある交差点まで。
面掛行列初体験、さてはて。
この行列は、元々は鶴岡八幡宮での祭礼に行われていたそうですが、明治時代に御霊神社に移されました。面は江戸時代の作とか。また、頼朝の子を生した里の女を押し立てて街を歩いたのが、この行列の始まりとする説もあります。神奈川県無形文化財。
詳細はwikipediaなど、多くのページがございます。…と書き逃げ(苦笑)。通りにはカメラを抱えた見物客が出ていましたが、それを制限するようなコーンやロープの類はありませんでした。更に、行列が来ようという時間が近くなっても、車が往来します。…迂回指示とか出てないの?(汗)という気持ちになり、心配。結局、行列は予定より20分ほど遅れてスタート。まずは太刀持ち、そして鳴り物、お榊の山車、神宝などが続きます。ここまでは子供たちが引いています。付添のお母さん達も一緒に。
それから天狗の面(wikiによると諸神の先導役の猿田彦)、獅子の面と続きます。![]()
天狗面を被っていたのは、外国人の男性でした。…天狗、異国の人ということから、私が何を思い浮かべたかは、言うに及ばず(笑)。
そして、ここからが「面掛」十人衆です。前の八人は同じ衣装。
写真が上手く撮れておらず、左向きは往路で、右向きは復路で撮ったものです。![]()
一番面「爺(ひょっとこ)」 二番面 「鬼」
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三番面 「異形(黒鼻)」 四番面 「鼻長」
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五番面 「烏天狗」 六番面 「翁」
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七番面 「火吹男」 八番面 「福禄寿」 。
十番面「女( とりあげ)」 九番面 「阿亀(おかめ)」
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面に続いて、神職や総代、役員、お神輿など。
余談ですが、私がこの行列を知ったのは10年以上前です。荒俣宏先生の著書「日本妖怪巡礼団」ででした。読んだ当時は、白黒写真で見るお面の異形っぷりに驚きました。実際に見て、更に驚きは増しましたが。何故、あのような異形の面…?
さてその本文中では、荒俣先生の推察される行列に内包される鎌倉党と頼朝の関係や、鎌倉の異界さが書かれております。こういう著作を拝読すると、景時さんを陰陽師としての側面から突っ込んだ話が描ければ、と思ってしまいます(笑)。
右の写真は、行列の旗。矢羽根は丸に四ツ石以外でも梶原家の家紋とされています。行列は星月夜の井からUターン、その後は駅の方向へ。…驚いたことに、車両が何台も通りに入ってきました。警察官が誘導をしていますが、どうも上手く規制がされていないようです。見物客もわらわらといるし、どうなるのかな、この通り…。
その状態もあり、往復を見られたこともあって私は通りを離れました。この後は、定番コース(笑)へ。先ずは光則寺さん。
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