2. 中尊寺・壱
中尊寺バス停は、月見坂脇の有料駐車場の中にありました。まだ降っていますが、私は帽子を被っていたこともあって、傘は差さずに上り坂を行きます。葉が紅く染まった樹が結構あります。聖域への入り口でありながら、やはり煩悩を止めることは出来ません(苦笑)。
観光客もそれなりな数ではありましたが、ここの空気はしんとして、凛としています。決して窮屈ではないのですが、研ぎ澄まされていると申しますか…。紅葉の美しさに感激しつつも、この独特な空気には背筋が伸びる思いでした。![]()
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弁慶堂
あ…有るんだ(笑)と思いましたのが、コレ。しかし、眼前のグループの方も流石にここから顔を出しては下さらなかったです(笑)。宮田さんにやって頂きたいとか思う私は、不心得者でしょうか(笑)。![]()
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こちらの堂内は、撮影禁止です。元は地蔵菩薩を祀ってあったようですが、後に弁慶と義経の木像が安置されたとのこと。お堂の前にある、小さな売店の方が色々と教えてくださいます。
本堂
そのまま奥へ進みますと、本堂です。丁度この日まで菊まつりが行われており、境内やその周りには、丹精込めて育てられた見事な菊が並んでいました。![]()
中尊寺は慈覚大師が850年に創建、初代清衡公の造営。前九年の役、後三年の役で亡くなった人の霊を慰めるため、仏国土を造るという藤原氏の思い。浄土への強い願い。煩悩搭載の馬鹿神子故、こちらに参りましたが、まずはこの地にこめられた祈念に対して、合掌。
讚衡蔵
本堂を抜け、不動堂(右写真)を過ぎ、讚衡蔵(さんこうぞう)へ。入館料800円を払います。
私がこの日に平泉を訪れたい、と思ったのはこちらが一因になっていました。丁度ニュースで「中尊寺の宝物館で藤原氏の奉納した教典が特別展示」というのを知ったからです。この宝物館が讚衡蔵のことだと分かったのは、真宮さまと旅程の相談をしていたときでした。昨年、平家納経は拝見する機会を得ました。こうなったら、こちらの「中尊寺経」も拝見したい!な気持ちです。展示期間は18日まででした。
蔵内は撮影禁止です。内部に納められた仏像は、どれも「展示」というよりは「安置」でした。きちんと供物がされており、建物は新しいのですがその空気は寺社に通ずるものがあります。展示品からは、都からこれだけ離れていながら、雅なる文化が花開いていたことが分かります。泰衡さんの首級が納められていた、桶もありました。この桶の中から見付かった蓮の花の種が、800年を経て開花したと。…誰がその種を入れたのでしょう。浄土の象徴たる、蓮の種を…。
企画展示室の「金字経」には圧倒されました。紺の紙に、一行は金文字、次行は銀文字と、金銀の交互で書かれています。中には金文字のみもありましたが、その細密さには目を見張ります。表紙絵も美しく、経文でありながら、果てしなく芸術品でした。
金色堂
讚衡蔵を出て、金色堂へ向かいます。おお、正面には団体様が…。やや速足で進み、受付を通り覆い堂を見たとき、ああそういえばこうだった…と、大昔の記憶が過ります。ここで一枚撮って、中へ。こちらも堂内は撮影禁止です。堂内では、金色堂の解説が常に流れています。
解説を聞きつつも、その細工の見事さと壮麗さに感心し、またこうするほどに浄土を希求する藤原氏の思いというものを、取り止めもなく考えていました。奥州が辿ってきた、苦難の歴史。
ゲームが発端での旅行ではありますが、それとは別にこの地そのものに対して、一種の畏敬の念を抱かずにはおれませんでした。
覆堂を出ると、経蔵があります。あれ、雨が止んでる?綺麗な紅葉と経蔵を撮る方も多かったです。
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