4. 高館―柳之御所跡―
無量光院跡―伽羅御所跡


高館義経堂
バスに乗るとほどなく高館義経堂停留所へ。ここから少し歩きます。
住宅地の静けさと、平泉の心地良い風を感じつつ、拝観料200円を納め更に進みます。あれ、ここは毛越寺さんの管轄だったのか。案内書を見て驚き。右写真の、右側が拝観券発行所です。お守りなどもあります。
写真の階段を登ると、視界が開けました。正面が束稲山です。左右で色味の違う写真ですが(汗)、何とか繋げられそうなので、強引にやってみたのが、下の写真です。

ああ、この景色をあの人はどんな気持ちで見ていたのだろう…。馬鹿神子のアタマは色々と忙しいです(苦笑)。そこは右に芭蕉句碑、左の石段を更に登って義経堂。お堂に歩みを進めます。…ああ、確かに。お堂には、よく写真で見ていたあの義経木像が鎮座していました。瞑目して合掌。この静かな地で、義経に去来したものは一体何だったのでしょう…。

 

そう、お堂への道中には、紫陽花がありました。

しかし、ふと気付くと…狭いですね、ここ。待てよ、そういえば北上川の流れが昔と変っているのでしたね。帰宅して、頂いたものを見ていると12世紀の想定図では、高館の辺りは一面緑でした。あの人数で不自由なく暮らす設定もOKです(笑)。


柳之御所跡
時間は午後3時くらいです。平泉での逗留時間も、残り少なくなってきました。柳之御所跡へ向かいます。民家と田んぼの広がる中を歩いていきます。11月も半ば、空は高く秋…と申しますか、もう冬が真後ろに迫っている空気を感じます。そして、真宮さまが「ここ」とおっしゃったその地は…
御館〜っ、スケールデカいです!案内板までデカいです!(笑)しまった、人物入りの写真を撮って、比較図にするべきでしたね(笑)。

 

普段の生活が、都内で視界が閉ざされた上、狭い部屋で過ごしているせいか「何もなく広い」ことに、圧倒されます。ここで、どんな生活が営まれていたのだろう…。広い御所跡は静かで、寒風が穏やかに擦り抜けていきます。

柳之御所資料館は、今回は見送り。
ゲーム中では「柳ノ御所」との表記でしたが、今回は現地での表記に合わせました。


無量光院跡
今度は西に向かって少し戻り、るんるんの通っていた道路へ出ます。反対へ渡ると、バス停の脇に広い……やっぱり広い!な土地が。ここが無量光院跡です。今は草が生え、池だったと思しきところは、低くなり、島の名残の場所には松がありました。大抵、遺構などは立入禁止の札やロープ、コーンがあったりしますが、ここにはそういった物が殆ど有りません。一部、調査は終了しているが、足場が悪いから立入禁止区域があったくらい。その「無さ」が「ここって、見学しに歩いても良いのですよね〜」との言葉になってしまいました。

 

 

かつての栄光が今はただ…と、西に傾いた陽を感じながら通路を歩きました。


伽羅御所跡
そして、今度は伽羅御所跡へ。道路を再び渡り、少し南下。また住宅街の方へ入りますと…あら。

 

「12区公民館」のそばに御所跡の案内板があります。…これだけ。御館の居住地だったという場所は、今は地元の方が住まう地になっています。私達は別の道から来ましたが、こんなしっかりした目印がバス通り沿いにありました。

勝手な話ですが、ゲーム中では伽羅御所が舞台になって、柳之御所はセリフ上だけだったので、伽羅御所跡の方がどーんと広い、と思ってました。本当に馬鹿神子ですな。


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