3. 中尊寺・弐―夢館―弁慶の墓


旧覆堂
中尊寺さんのHPには「1213年に秀衡公が政子の夢まくらに立ち、平泉の寺院の修理を促したことで、幕府が修理を命じたと吾妻鏡にある」旨、書かれていました。それから時を経た1288年に、この旧覆堂はやはり鎌倉幕府によって建立されました。それから1962年までの長い間、金色堂を守ってきたのです。
風雪や火災など、幾多の困難をくぐり抜けてきた旧覆堂の中は、人が居て、絵画が掛けられて明るくても、どこか空気がしんとした感じがしました。

   

人が多いのに、寒さとは違う澄んで凛とした空気が、境内に感じられます。紅葉も美しいです。

 

旧覆堂を出て(下写真左から)天満宮、白山神社鳥居、弁天堂等を拝見しながら進みます。
白山神社は拝観する余裕がなかったのですが、祭神は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊不動堂。能舞台は、伊達潘によって建立されたとか。

月見坂を下ります。再び弁慶堂の横の物見台へ。束稲山と衣川。煩悩と妄想と、何とも申しがたい気持ちがします。山門を出て、往路の道の脇に有る、整備された?路を行きますが、こっちもかなり急です。しかも足下が土ではないので、落葉が更に滑りやすさを誘います(笑)。


夢館
中尊寺第一駐車場に隣接するこちらは、JRのこのプランに入場料がセットされていました。何でも、107体の蝋人形が、藤原4代の歴史を再現するとか。こちらを「ゆめだち」と読み間違えましたが、正確には「ゆめやかた」です(笑)。
レストランや土産物店を併設しており、この日も「歓迎○○様」の札が。入り口で確認しましたが、現在は館内の撮影が許可されていました。さて、進みますと……夢に出そうです。

 

まさにその名の通り(いや、狙いは違うと…)。何だか、夜中に皆で宴会していそうな気がします。そのくらい、精巧に作られた人形達でした。


弁慶の墓
駐車場の手前に有ります。…弁慶さん…。ここで十六夜のあのスチルとか、思い出してしまいます。よりにもよって、象徴物の紫陽花まであったりしました。
道路の脇の墓標の在る一角は、確かな存在感があります。

 

その時、るんるんがやって来ました。これに乗って義経堂へ!と、私達は慌ててバス停に。


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