6. 旅の終わりに
復路の新幹線は、16時47分発やまびこ62号。ホームに上がると、係員さんが座席番号に合った乗車口を教えてくれました。…今度は車両の最後尾の座席でした(笑)。昼食は往路の車内でコンビニおにぎり(笑)でしたので、少し早めの夕食は駅弁。混雑するであろう、仙台へ着く前にペロっと平らげまして、後は遙か談義を。…ヘンだなぁ、2時間45分って、こんなに早かったか?(笑)といった感じで、上野駅(写真)へ到着。
ここで真宮さまとはお別れです。私も電車を乗り継いで、無事帰宅しました。
お土産
平泉の駅で購入したのが、この「辧慶力餅」。見た瞬間「鎌倉では景時さんのご先祖力餅で、ここではやはり…」と思いました。運良く、試食用のお餅があったので、早速頂戴します。
中には小さな胡桃が入っていて、甘いです。でもべったりした甘さではありません。何だろう?と原材料を見たら、隠し味にお醤油が使われているようです。![]()
お土産というのとは違いますが、これが高館で求めたお守り。ここのところ、膝が心配だったりしますので。500円のお納め。
平泉は観光客には有難いと申しますか、回り易い場所だと思います。とにかく標識が多い。世界遺産登録を目指しているから、というのもありましょうが、見たいところが比較的近距離に在るということもあります。
駅舎内の待合所にも観光用のパンフレットがありますし、駅前の観光案内所にも多数ありました。私は「平泉散策ガイドマップ」がお気に入りです。お手洗いの場所までしっかり書いてありました(笑)。
右の写真は、この旅で集めたり、お寺で頂いたパンフレット類。
しかし、今回は既に平泉行きの経験のある、ナビゲーターの真宮さまに頼りっぱなしでした。もし、仮に一人でもう一度平泉へ行ったとしたら…ちゃんと行き着けるのかしら(汗)。前述したように、標識などはありますが全体の方向とか、効率とか…。私一人だったなら、この滞在時間でここまでは回れなかったかと。
切符の手配からナビ、そして遙か談義とお世話になりました真宮さま、有難うございます。
真宮さまの平泉旅行記を読まれたい方は、こちらから。
…やっと行けた。でも、何となく引っ掛かるものを感じるなぁ…。
と考えていました。それは「やったぞ!平泉行けたぁぁぁ」といった、手放しでは喜べたとなかなか思えないことです。勿論、道中は楽しいのです。ナビは完璧、妄想感想話し合いで、問題ない(笑)。もっと、違うところです。讚衡蔵の辺りから、段々気が重くなってきたのです。平泉の文化の素晴らしさを見て、感銘を受けるほどに。
壮麗な文化を誇った都が、戦乱や災害で荒廃し、徐々に衰退していく。それは世の習いで、彼方此方を訪問したり物を拝見したりした際も、考え振り返り分かっていたと思います。
でも、この平泉の地で感じたのは、これまでに無い…何と申しますのか、遣る瀬無さでした。
ゲームに絞って端的に申しますなら、この素晴らしい平泉を、恋しい神子と仲間の為に奪い取ろうとした景時の心中や、その行為のあまりの重たさ。オレがやらなくても、鎌倉はいずれ…ならオレが…。武士だからとはいえ、貴方はどれだけ…。平家も滅ぼし、京も荒れた。それが世の習いだとしたとて…。そして「これが終わりではない」と壇ノ浦で感じ、九郎を助けるために最後まで戦った弁慶。「観念する」というそれまで考えられなかった姿。そういうことが高館へ行っても離れず、あそこから北上川を見たときは、不覚にも落涙しそうになりました。十六夜は重たい。
そして、ゲームとはまた違う何かが、ずっと付き纏う気がします。朝廷に従わぬまつろわぬ地、人々としての苦難の歴史。その後は、藤原氏による浄土への思いと、それを顕現した都市造り、そして滅亡。そういったことが、まるで空気にまで染み渡っているようです。かなり感傷的であるとは思いますが…。
中尊寺や毛越寺の空気は、私のような凡人ですら清浄だと感じました。そして、各遺構の放つ「無い」ことが「過去そのものの形」の態は、清浄さとともに、消えていった幾多の事象を強く思い起こさせます。鎌倉の永福寺跡で感じたことの、再来。永福寺―奥州征伐での諸霊鎮魂を目的とした、中尊寺や毛越寺、無量光院等を模した伽藍。それも今は無く、野ざらしの地。あそこは、鎌倉の中の奥州だったのかもしれません。あそこで感じたことを、やはり平泉でしんしんと感じました。
平泉でその「過去の形」を一層強く感じさせるのは、壮麗さや血の他に何故か…土。これは、こちらの土地柄の生せる技かも知れません。北方に「遠野」という地があるせいでしょうか、大地に滲みている気そのものが違うようで。東北の気候に不慣れだからだ、と言われればそうかもしれませんが(笑)。今迄に訪れた、どの古都とも違った独特な雰囲気でした。更にこの日は、雨→晴天→曇天という不思議な天気で、余計に…。
写真の仁王像は、高館の資料館のものです。以前写真で見た遠野の木像に似ており、その迫力に圧倒されました。さて、今回の旅行記を書くうえであれこれ調べる内、平泉が四神相応の地だというのを知りました。北=山が中尊寺の丘陵、東=川は北上川、南=池・海は大泉が池、西=道は奥大道。…南西がちょいと苦しそうな感じもしますが(笑)、これを読んだ時、西方、白虎たる景時さんが奥大道で陣を張ってたのは、四神の加護を得るため?という気もしたのですが、彼にこの時宝玉は無かったのよね(泣)。荼吉尼天は居たけれど。
ちなみに、民家の庭先では小菊を栽培されているのを、多く見掛けました。…野紺菊には会えませんでしたが(泣)←CDドラマネタ。
ゲームが発端で旅した平泉。現地に行けたという達成感とともに、十六夜記というゲームの重さと、平泉という土地そのものに、深い感銘を覚えた一日となりました。楽しさと、深さと、遣る瀬無さ。煩悩搭載神子ではありますが、神妙に回らせて頂きました。次の機会があれば、今回回らなかった所を含めじっくり見てみたいです。…でも、じっくり過ぎるとまたあれこれ考えて、楽しみつつ重たくなるのかな?(苦笑)
魅かれても、どこか訪れるのに勇気が要る、不可思議な魅惑に満ちた北の浄土、平泉でした。今回ご一緒頂きました真宮四季さま、本当に有難うございました。