鎌倉紅葉リベンジ編・3
宝戒寺橋―東勝寺橋―妙隆寺―
雪の下カトリック教会―キャラウェイ
妙隆寺へ―田楽辻子のみち
バスに乗ろうかどうしようかと迷いつつ、結局は歩きました。ただ、金沢街道沿いは交通量も多く、歩道は狭い。そんな状況でこの調子なので、裏道を。報国寺さんの総門に向かって右手にある道です。ここは大昔(笑)から頼りにしているガイドブックで、散策するならこの道と記されています。でも、通りの名の表記がありません。前回初めて通りまして、名前も判明。写真がボケたのしかないのですが「田楽辻子(でんがくずし)のみち」。通り沿いの釈迦堂前に、田楽師が住んでいたから、この名になったそうな。住宅の路地を抜ける感じで、静かですがお住まいの方の車両も通ります。金沢街道への合流は、バス停岐れ道近くの大御堂橋になります。
宝戒寺橋
七福神巡りで訪れた宝戒寺さん。今回はお参りせず(苦笑)、そのまま裏手の方にある宝戒寺橋へ。滑川に掛かるこの橋は、紅葉のスポットです。写真は、この橋から南にある東勝寺橋を撮ったものです。
…いつも拝見している鎌倉の情報サイトさまで、ここを知ったのですが、この橋以外にも現地には気になる表示がありました。
「紅葉山やぐら」。
何だろう?…いや、だからやぐらだろう(笑)。と思いつつ、周りを見るも駐車場だし、崖らしき岩肌も舗装されていて、やぐらのあるような雰囲気は無いなぁ…。と思いつつ、表示に沿って進むと、コレか!
落盤防止の為とは申せ、あまりにも整備されていて…どうにもピンときませんでした(苦笑)。
東勝寺橋
宝戒寺橋から少し南下し、東勝寺橋へ。コンクリート製で、橋梁はアーチ型の綺麗な橋です。写真はさっきと逆に、宝戒寺橋を撮ったものです。
東勝寺というお寺は今はありません。1237年に、頼朝・政子夫妻にも信任されたという退耕行勇が開山しましたが、1333年に北条高時ら、一族870人余がここで自刃。焼け落ちました。
後に足利政氏が再興しましたが、1573年に廃寺。
この橋から程遠くない所に「高時腹切りやぐら」があります。ここは今回は行きませんでした。やぐらでは今でも追善法要が営まれますが、遺骨は釈迦堂ヶ谷に葬られたそうです。東勝寺の周りは静かで、川の流れは緑と紅葉の中を行きます。右下の写真は、川べりに岩を椅子としたものだけがある小さな公園の楓。こんなのどかな風景に、血みどろの歴史が佇んでいる。何とも言えない気持ちになって、暫し座って川を眺めました。
妙隆寺
七福神巡りの際、本堂が工事中だったお寺さん。落慶法要も済んだということで、行って参りました。うわっ、新品!(←当たり前且つ不謹慎な発言)
境内も資材が無くなりましたので、ゆっくりお参りできます。この前は見ることが出来なかった、日親上人の修業されたという阿池も。
雪の下カトリック教会
妙隆寺さんから、今度は段葛の方へ回ります。先刻までの静けさから、一気に街中のざわめきへ。基督生誕の日も近い教会は、どうなっているのかな…と思い寄らせて頂きました。礼拝堂ではミサの前だからでしょうか、オルガンの練習?中でした。沈思の空間に響くオルガンの音と、射し込む日光に僅かな時間、思考を飛ばして静かに祈り、礼拝堂を出ます。
写真はこの後、夕方に撮ったものです。訪問は午後2時くらいでした。
キャラウェイでご飯
平家繋がりというわけではないのですが(笑)、ご飯は将臣くんが行こうと言っていたであろうカレー屋さんへ。私はここがなかなか分かりませんでした。後に、漸くここと分かって…聞くだに「量が多い」「混んでる、並ぶ」という単語が出て来ます。…平日の午後2時半、少し前。教会を出た私は、段葛を横断してキャラウェイさんへ。やった、並んでない!! と、ドアを開けたら「満席です」(笑)。
丁度待ってた人が入り終わったところだったのかもしれません。それでも、10分弱で入れました。ですが、6人席のテーブルに相席。カップルが一組のところへ、妄想猛々しい馬鹿神子一人(笑)。ハヤシライスを小盛りで。カレー星人なのですが、朔にハヤシライスの美味しいお店、と勧めてたのももしかしてここ?と思ってハヤシに。懐かしい味でした。600円。
写真はフラッシュ無しなので、少し暗いです。流石に相席の中でフラッシュというのは、ね。
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