鎌倉紅葉リベンジ編・4
寿福寺―浄光明寺
寿福寺さんまでささっと完食して(笑)、キャラウェイさんから小町通りへ抜け、北上します。
鉄(くろがね)の井(下写真左)の手前の道を左折して、西へ。ここを暫く進むと、進行方向に向かって右手に窟(いわや)不動というお不動さまが祭られています(同・右)。元々は石窟寺院だったようですが、現在は石窟は閉ざされ、その前面にお堂があります。吾妻鏡にも登場する古い遺跡で、後白河院の49日法要には、ここから僧侶が出仕し、また頼朝も訪れたという話があるそうです。お堂手前には、軽食が頂ける「不動茶屋」があります。
お不動様を過ぎ、横須賀線の線路を越えると寿福寺さんです。![]()
寿福寺
鎌倉五山・第三位の寺格。北条政子が眠るお寺です。
山門より奥が入れないというのに、お墓って見られるの?と思いつつ、総門(右写真)から山門を見ると…静かな参道が一直線に伸びています。雨の日がお勧めという風情有る参道には、色付き始めた樹もあります。ここを進んで、山門からお堂へ手を合わせます。
山門前から、お寺の後方の墓地へ続く道があります。道なりに進んでみて…うーん。私は高低差の少ない所が良かったのだが…(汗)。石段が続いています。但し、きちんと整備された石段で、段差も極端にあるわけではありません。しかも、紅葉が綺麗です。どうしよう…と思いつつ、アタマの中に「あら、ここまで来てお参りなさいませんの?」という政子さまの声が聞こえ(笑)、行くことにしました。こちらの墓地は広く、大きく堂々としたお墓も多かったです。高浜虚子、大佛次郎といった著名人もこちらに眠っています。
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政子さまのお墓と伝えられます(右)。源実朝のお墓もあります。この日は檀家の方でしょうか、十数名の方が墓地の掃除をなさっていました。
どうも、遙か3の政子さまですと「私と鎌倉殿は離れることなどありません」と言って、旦那の遺骨の一部とか持って墓に入ったような気がします。ばらばらなんですよね。お墓は…。お参りを終え、石段を下っていると標識が…。片方は鎌倉駅を指しています。もう片方は源氏山。そういえば、地図を見ると寿福寺から源氏山へ行けそう…なのですが、どういうわけか道が途中で書かれていないのですよね。化粧坂と同じ感じで。…確かめてみたいかも。待て、お前足が危ないだろう、という一人突っ込みを入れつつちょっと登ってみました。…断念。右の写真、奥が墓地の石段方向です。手前に細い窪みがありますが、これが道。幅は片足分……(汗)。
しかも、この正面には個人のお墓が一基……。お墓の左側が平地のようでしたが、流石に諦めました。足も勿論ですが、何よりここで眠っている人は…ご承知なのかもしれませんが、思いっきり敷地内を踏破してしまいます。墓地内の参道とは言い難いし。失礼千万の気がしまして、一礼してまた恐々(笑)下ります。
暫く歩いて寿福寺さんの総門の左側、八坂神社さん(右写真下)の脇へ出ました。ここからは、再び線路を渡り北上し、浄光明寺さんへ。
浄光明寺
標識に従って歩くも、なかなか辿り着けない雰囲気です。そんな迷える観光客に、工事現場の車両誘導係さんが「浄光明寺さんなら、こちらですよ」と、さり気なく声を掛けてくれました。お兄さん、有難うございます。…すぐそこでした(笑)。もっとよく探そうね、自分。
紅葉の見頃なお寺さんと知って、初めて参詣しました。静かで、境内が良く整えられています。丁度鐘楼の辺りに植木屋さんが入っていましたが、私が一巡するまでの間、作業を止めて写真を撮っている所から退いていてくれました。…さり気なく気遣ってくださる、地元の方に感謝。![]()
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左・鐘楼 右・不動堂
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左・駐車場付近 右・本堂奥の阿弥陀堂
阿弥陀堂は、本堂の奥の石段を登ったところにありまして、お堂の奥はやぐらになっています。今回は、お堂にお参りしたのみ。
浄光明寺さんは1251年に開かれ、後に足利尊氏が4世和尚に帰依し寺勢は栄えたそうです。しかし、室町幕府以降は衰退。今は、趣深い寺社です。
…でも、実は山門入って直ぐ左に、こちらの楊貴妃観音さまが御座しまして…ちょっとびっくり。最近建立されたようですが、どうもそぐわないような…。勿論、謂れや意味があってのことなのですが、私はすっかりその辺のことが記憶から落ちております(爆)。
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